5自我の交流~刺激と反応

今まで、自我状態の構造(交流分析では構造分析と呼びます)について述べてきました。それでは、自我は相手とどのような交流(刺激と反応)、わかりやすくいえばどのようなコミュニケーションをするのでしょうか。

「効果的な」コミュニケーションのパターンはあるのでしょうか。また、コミュニケーションの刺激(投げかけ)に対する反応(応え)の仕方には、一定の法則はあるのでしょうか。

この項では、それらについて解説していきます。なお、内容を理解しやすく、見やすくするため、ここでは五つの自我を

P(親の自我状態)、A(大人の自我状態)、C(子どもの自我状態)

の三つに簡略化して示していきます。したがって、そのときのケースによって、それがCPなのかNPなのか、また、FCなのかACなのかは、みなさんでそのつど判断して読み進めてください。また、刺激(投げかけ)の方向を右向きの矢印(↑)で、反応(応え)の方向を左向きの矢印(↓)で表していきます。

 

コミュニケーションパターンの分析

私たちは、朝起きてから夜寝るまでの間、本当に多くの人とコミュニケーションをとっています。ましてや管理職ともなれば、なおさらでしょう。朝は朝礼に始まって、今日一日の仕事に関し部下に指示を与え、自分の担当する顧客のところへ出向いたり、また来客の訪問を受けることもあるでしょう。昼食が終わって、午後の予定には会議があり、現在抱えているプロジェクトの進捗状況を発表しなければなりません。
会議が終わって、あちこち取引先に電話をかけているとそろそろ夕方です。営業に出かけていた部下たちが一人また一人とオフィスにもどってきます。報告を聞いて、必要な指示を出します。仕事が終わって、久しぶりに学生時代の友人と赤提灯で一杯。帰宅すると子どもは勉強部屋ですが、妻は帰りを待っていて、今日学校であった進学に関する父兄懇談会や、今日一日の様子について話し合います。

このように、実に多くの人とコミュニケーションをとっています。しかし、コミュニケーションがスムーズに進み、とても楽しい場合もあれば、なんだかぎこちなく、不愉快な思いをする場合もあります。その原因はどこにあるのでしょうか。またどうすれば、愉快な、それでいてお互いに勇気づけられるような、そして、前向きでスムーズなコミュニケーションをとることができるのでしょうか。

ここでは、豊かな人間関係を築き、そして、個人や組織の目的の達成に向けられたコミュニケーションを「効果的なコミュニケーション」と呼び、また、反対に作用するコミュニケーションを「効果的でないコミュニケーション」と呼んで、以下、その刺激と反応がP、A、Cの、どの自我との間のやり取りなのかを考えてみたいと思います

 

相補的交流(Complementary Transaction)

次の会話を例にして、考えてみましょう(図表20)

「ねえ課長!今度の土曜日、みんなでバーベキュー
やりませんか」(刺激)
「おお、いいね。じゃあ、私は肉を用意しよう!」
(反応)

この場面をちょっと想像してみてください。おそらく双方とも、身を乗り出して、目を大きく見開いて、弾んだ声でコミュニケーションをとっていることでしょう。

このように、図表20では、部下のCの自我状態から課長のCの自我へ刺激が発せられ、課長はCの自我状態で、部下のCの自我状態へ反応しています。

ここで注意をしていただきたいのは、刺激に対する反応が、平行線となっていることです。

会話は続きます(図表21)

 

「釣りなんかもできたらいいねえ!」(刺激)
「いいですねえ。じゃあ、釣り竿は、ぼくが何本か持っていきますよ!」(反応)

この場合は、刺激を与える者と、反応する者とが、部下と課長で入れ替わっていますが、やはりCの自我状態から相手(部下)のCの自我状態に刺激が発せられ、Cの自我状態で、相手(課長)のCの自我状態に反応しています。
ここでもやはり、刺激と反応が平行線となっています。

では、図表20の後に、次のような会話が交わされた場合を考えてみましょう(図表22)

「でも、雨が降ったらどうするんだ」
「心配ありません。屋根付きのバーベキューコーナーも設置されていますから、
雨の場合は、そこを貸してもらえるように手配してあります」

この場合は、課長は(Cの自我状態から切り替えて)Aの自我状態で、部下のAの自我に刺激を与え、
部下は(Cの自我状態から切り替えて)Aの自我状態で、課長のAの自我状態に反応しています。
ここでも刺激と反応は、平行線になっています。

同じく、図表20の後に次のような会話が交わされた場合はどうでしょう(図表23)

「課長、魚介類も用意してくれるとうれしいんですが」(刺激)
「私を誘ってのは、そういう魂胆があったのか。わかったわかった!それも持っていくよ」(反応)

ここではP(課長)とC(部下)の自我状態ですが、やはり刺激と反応は平行線になっています。
以上のように、刺激と反応のベクトルの状態が平行になることを、
交流分析では「相補的交流」と呼んでいます。
この相補的交流が行われているときには、★
双方に愉快な、または、目的(図表20の例では課長とバーベキューに行くということ)の達成に向けられたスムーズなコミュニケーションとなっているのが特徴です。

 

交叉的交流(Crossed Transaction)

では、最初の会話の例が次のようであったらどうでしょうか。

「ねえ課長!今度の土曜日、みんなでバーベキューやりませんか」(刺激)
「今月の君の業績を見てみろ。よくそんなのんきなことが言えるな」(反応)

この瞬間、部下はどのような感情を持ったでしょうか。
おそらく、嫌な、気まずい感情を持ったに違いありません。

このやり取りを図式化すると図表24のようになります。

部下はCの自我状態で、課長のCの自我に働きかけていますが、
課長はPの自我状態で、部下のCの自我(状態)に反応しています。
そのため、刺激と反応のベクトルは交叉してしまっています。
このような交流を交叉的交流と呼んでいます。
このねじれたコミュニケーションは、嫌な気持ちや不快な感情を双方に与えます。
もちろん、目的(図表24の例でいうならば、課長とバーベキューに行くこと)を達成することもできません。

以下に交叉的交流の例をいくつかあげてみましょう。

「課長、どうしてこのような決定になったのか、経緯を説明してください」
「決まったことに対してゴチャゴチャ言うな!」
この例(図表25)では、部下はAから課長のAに刺激
を与えているのに、課長はPから部下のCに反応しています。

そのため交叉的交流となっており、不快感が残ると同時に、経緯の説明という目的も達成されません。

「課長、納品した品が発注したものと違うといって、先方はカンカンです。すみませんが、一緒に行って、謝ってもらえませんか」
「またか!何で君はいつもそうなんだ。自分でいい方法を考えろ!」

この例(次ページ図表26)は、一見すると相補的交流のようにも見えますが、正確にいうと、部下はC(AC)の自我状態から課長のP(NP)に働きかけているのに、課長はP(CP)の自我状態で部下のC(AC)に対して反応していることがわかります。

そのため交叉的交流(ねじれたコミュニケーション)となり、嫌な、不快な感情が残ります。
また、一緒に行って謝罪してもらうという目的も達成することができません。
おそらくこの部下は、「二度と相談なんかするもんか」と決心するか、途方に暮れるだけで「ぼくはだめな奴だ」という自己否定の感情だけが残ることでしょう。

「(偉そうに)君、先週頼んでおいた企画書はもうできたかね」
「(皮肉っぽく)課長、納期は来週だったはずですがね」

表現だけ見ると、一見AとAとの間の交流のように見えますが、声の調子やしぐさから考えると、課長はPの自我状態から(客観的事実を引き出すため)部下のAの自我に働きかけており、部下は、(納期が来ていないのに何を言っているんだという)Pの自我状態から課長のAの自我に対して反応しています(図表27)

 

いずれにしても、双方とも不快な感情が残ったことでしょう。

エリック・バーン博士は、「この交叉的交流が起きたとき、その話題についてのコミュニケーションはただちに途絶えるのが常である」としています。

 

裏面的交流

賞与の時期になると、職場のあちこちでこんな会話が聞かれそうです。

「社長、今度のボーナスが出たら、新車に買いかえようと思うんですが、どんな車がいいでしょうね。

去年は買いたくても買えなかったですからねえ」

この場合、彼はどんな自我状態で、社長のどの自我に働きかけているのでしょうか。

 

表面上は、AからAに刺激しているようですが、本音は、「社長、今度のボーナスは頼みますよ。去年は、少なくても我慢したんですから」と読み取ることができ、実は、Cの自我状態から社長のP(NP)の自我に働きかけていることがわかります。これこそが、彼が社長に働きかけた「真の刺激」です。

 

これを図式化すると、図表28のようになります。

このように、表面上の顕在化したメッセージ(表面上の刺激)の裏で、それとは全く異なった本当(本音)のメッセージ(真の刺激)を送ることを、交流分析では裏面的交流と呼んでいます。

 

そしてそれは、ほとんどの場合、表面上の自我状態とは異なった自我状態から、相手に対し働きかけが行われるということを覚えておいてください。

 

では次に、図表28の場合の社長の反応を見てみましょう。

 

「(落ち着いた様子で微笑みながら)君のところは家族も多いし、ちょっと高いけど、ランドクルーザーなんかもいいんじゃないか」

 

これは、一見すると、社員のAの自我状態からの働きかけに対して、Aの自我状態で反応しているように見えます。

しかし、社長の本音は、「わかっているよ。今度はバンとはずむから安心しろよ」

というところにあります。

したがって、社長もまた、裏面的交流を行っており、前者は「表面上の反応」、

後者は「真の反応」ということができます。

 

これを図式化すると、図表29のようになります。

表面上の刺激も反応も、相補的交流となっていますが、真の刺激も反応も、みごとにそうなっています。

(私はこれを、裏面的交流の相補状態と呼んでいます)

したがって、この場合、相補的交流の特徴である、双方に愉快な、また、目的の達成(社長、今度のボーナスは頼みますよというお願い)に向けられたスムーズなコミュニケーションが成り立っているといえます。

 

では社長の反応が次のようであったら、どうでしょうか。

 

「(冷静に)私が乗るわけじゃないんでねえ、君の好きにしたらいいんじゃないか」

これを図式化してみましょう(図表30)。

 

表面上のコミュニケーションは相補的交流となっていますが、真の刺激に対しては、交叉的交流となっているのがおわかりいただけると思います。(私はこれを、裏面的交流の交叉状態と呼んでいます)

そのため、交叉的交流の特徴である、嫌な、不快な感情を彼に与えてしまったことでしょう。また、彼の「社長、今度のボーナス頼みますよ」とお願いする目的も達成できませんでした。そして、おそらく彼に「だめだ、この人に言っても」と決心させる結果となってことは間違いありません。

 

この裏面的交流による交叉状態は、頻繁に起こります。きわめて日常的に起こります。次の例を考えてみましょう。

 

(五歳の子どもが)「ねえ、お父さん。あしたお休み?」

「(新聞に目を落としながら)ああ、そうだよ」

 

一見すると、子どもはAの自我状態から父親のAの自我に働きかけ、

父親はAから子どものAに反応しているように見えます。

 

が、しかし、子どもの自我状態は本当はCからP(NP)に働きかけています。

真の刺激は、「お父さん、明日どこかへ連れてってくれないかなあ」

と言っているのです。

なのに、父親はAからAに反応したため、裏面的交流の交叉状態となってしまいました。したがって、会話はここでとぎれてしまいます。

(エリック・バーン博士が、「この交叉的交流が起きたとき、その話題についてのコミュニケーションはただちに途絶えるのが常である」としていることを思い出してください)という自己肯定(I am OK)の感情を抱くことでしょう。

これらの例でもわかるように、裏面的交流は実に日常的に起きています。しかし、私たちは、裏面的交流の交叉状態を気づかずに繰り返していることが、何と多いことでしょうか。そのため、何と多くの、嫌な、不快な、または自己否定の感情を相手に与え続けていることでしょうか。この裏面的交流の交叉状態を避け、有意義なコミュニケーションをとることができるようにすることが、交流分析を学ぶことの最も大きな意義の一つであると私は考えています。

 

「効果的な」コミュニケーションと「効果的でない」コミュニケーション

ここで、相補的交流と交叉的交流について振り返ってみましょう。
(裏面的交流は、結局、この二つに分類されるため、ここでは省きます)
まず、相補的交流の特徴は、
①多くの場合、相手に愉快で、楽しい感情を与える。
②そのコミュニケーションの目的を達成させる方向に向かって会話が進む。
の二点でした。
また、交叉的交流の特徴は、
①多くの場合、相手に嫌な、不快な感情を与える。
②その話題についてのコミュニケーションはただちに途絶える。
(したがって、コミュニケーションの目的は達成できない)
の二点でした。

では、相補的交流がOKなコミュニケーションで、交叉的交流はOKでないコミュニケーションだと結論づけていいのでしょうか。

答えはNOです。

次の例を見てください。(図表33)

部長「君のところのA君。また有給休暇をとってるそうじゃないか。仕事する気があるのかね。まったく」
課長「同感です。今年に入ってすでに一〇回目なん
で、注意したんですが、効果なしです。困ったもんです」

この例では、刺激と反応は、確かに相補的交流となっています。
双方とも自分の意見の理解者を得たため、(本人にとっては)愉快な感情を持つでしょう。
そして、A君に対する非難は延々と続き、A君を非難するというコミュニケーションの目的は達成されるでしょう。

でも、このコミュニケーションは、はたしてOKだといえるでしょうか。

次の例を見てください(図表34)

 

部長「君のところのA君。また有給休暇をとってるそうじゃないか。仕事をする気があるのかね。 まったく」
課長「しかし部長、有給休暇は彼らの正当な権利ですから。今週は業務も一段落ついて、落ち着いてますし、それに、引き継ぎもキチンとやっていきましたから、特に問題はないと思われますが、いかがでしょうか」

ここでは、(PからPに刺激しているのに、AからAに反応しているという意味で)交叉的交流となっています。

では、このコミュニケーションは、OKでないコミュニケーションだといえるでしょうか。むしろ、意図的に交叉的交流をすることのほうが、はるかにOKだといえます。すなわち、相補的交流にも交叉的交流にも、OKなコミュニケーションと、OKでないコミュニケーションとがあるということです。(ここで頭が混乱してきた読者の方もいらっしゃるのではないでしょうか)

では、結局、私たちはどのようなコミュニケーションを心がければいいのでしょうか。

まず第一に、「効果的自我」(NP・A・FC)間での相補的交流を心がけること。
第二に、相手が「効果的でない自我」状態(CP・AC)にいるときには、意識的に交叉的交流をはかり、相手の「効果的な自我」を引き出してやることが大切です。

このように、「効果的自我」間での相補的交流、および相手の「効果的自我」を引き出すため
の交叉的交流を、私は「効果的なコミュニケーション」と呼び、
そうでないものを「効果的でないコミュニケーション」と呼んでいます。

そして、この「効果的なコミュニケーション」をとることが、
職場においてリーダーシップを発揮するのです。
また、家庭においても豊かな人間関係を築く大原則であるといっても過言ではないでしょう。

 

刺激と反応の法則

この第1章を締めくくるにあたって、
最後に、刺激と反応の法則について考えてみたいと思います。

そもそも刺激に対する反応の仕方には、一定のルールや法則があるのでしょうか。

答えはYESです。

これまで断片的に刺激に対する反応のパターンを述べてきたので、おわかりいただけてい
る方も多いことと思いますが、以下にそれをまとめてみましょう。

その1

「CPからの刺激は、相手のACの反応を誘う」

CPからの刺激は、権威的、威圧的、命令的なため、相手を抑圧します。
その結果、相手に、劣等感や屈辱感、無力感を与え、
「I am not OK」(ぼくはだめな奴なんだ、ぼくは愛されていないんだ、という自己否定)と
いう感情を起こさせます。
その結果、相手は萎縮し、従順な反応を示しますが、
心の中では、刺激者に対して反抗心(You are not OK)を抱いているため、
それが蓄積され、高じてくると、一挙に爆発することがあります。

その2

「ACからの刺激は、相手のCPの反応を誘う」

その1の逆のケースですが、この場合、「逆もまた、真なり」ということができます。

その3

「NPからの刺激は、相手のFCの反応を誘う」

NPからの刺激は、相手に安心感や温かさを与え、勇気づけることになります。
その結果、相手に「I am OK」(ぼくは必要とされている、ぼくは愛されている、という自
己肯定)の感情が生じ、
リラックスして、自分の心の中をのびのびと表現できるようになります。

その4

「FCからの刺激は、相手のNPの反応を誘う」

ここでもまた「逆もまた、真なり」ということができます。

その5

「FCからの刺激は、相手のFCの反応を誘う」

FCはNPだけでなく、FCをも誘うことがあります。
なぜなら、FCは楽しいことが大好きだからです。
自由で、自然で、「みんな仲間」です。
そのため、相手にも「I am OK」という感情を生じさせ、NPからの刺激同様、リラックス
して、のびのびとした感情表現を引き出すことになるからです。

その6

「Aからの刺激は、相手のAの反応を誘う」

Aからの刺激は、相手の事実に対する理解や、分析的態度を誘います。
その結果、問題の発見・解決を促します。
しかし、事実のみにとらわれて、相手の心の中、感情を見失ってしまい、真の解決にはな
らないという危険性があるということを忘れてはいけません。
(あと一つ、私の経験からして、相手がCPの自我状態から刺激している場合に、
意図的にAの交叉的交流をするときには、充分なNPを働かせながら行わないと、
火に油を注ぐ状態になりやすいので注意が必要です。気をつけましょう!)

以上のように、刺激に対する反応には一定の法則があります。
しかし、一方で、前項で見てきたように、私たちは、「効果的なコミュニケーション」を心
がけることも学びました。

すなわち、
①「効果的自我」(NP・A・FC)間での相補的交流を心がけること。
②そして、相手が「効果的でない自我」状態(CP・AC)にいるときには、意識的に交叉的
交流をはかり、相手の「効果的な自我」を引き出してやることが大切だ。
と学びました。
それは、「刺激と反応の法則どおりには反応しない」と決意することを意味します。
したがって、刺激と反応の法則は、「最も起こりやすい対人反応」
という交流分析の結論ではありますが、
そのとおりに反応するのかしないのか、
それを決定するのは、私たち自身の心の在り方にゆだねられていることも、交流分析のも
う一方の結論だということを、決して忘れてはならないのです。