[3-1]第1の原則<I am OK / You are OK>

心の臨界期

子どもの初期の発達過程で、ある一定期間内に、ある能力または特性を身につけないと、
一生身につかないという、重要な分かれ目になる一定の時期・期間を「臨界期」といいます。

この臨界期の存在を初めて世に紹介したのは、ドイツの博物学者でノーベル賞を受賞した
コンラッド・ロレンツ博士です。

ガチョウやアヒルは卵からかえったとき、最初に見たもので、大きな動くものならば何で
も自分の母親だと信じ込み、その後をのこのこついていくようになります。
このことは、孵化して数時間から十数時間の間で見たものでなければ起こらないが、
いったん身につくと、それをもとにもどすことはできないと唱えました。

同じような例では、生後まもない子猫を、横線の壁に囲まれた中で二週間ほど育てた後、
普通の環境にもどしてやっても、視力障害をおこしていて、水平方向の知覚はできるが、
縦の線は認識できなくなってしまうとのことです。
すなわち、生後二週間が、正常な視力を身につける臨界期であるということなのです。

同じようなことは人間でも起こります。
たとえば、五歳までに音階を学ばないと、「絶対音感」は身につかないといわれていますし、
一流棋士といわれる人たちがみんな五~六歳までに碁を打ち始めている事実を見ると、
何十手も先を読み取る、囲碁における直感的能力については、その年齢ぐらいまでが、
臨界期であるといえるでしょう。※4

では、この臨界期といわれる興味深い事実は、
身体的な機能や特性だけに限られるのでしょうか。

実は、心の発達過程においても同じようなことがいえます。
すなわち、性格を決定するような、「心の臨界期」というのが存在するのです。

この期間内にどのようなストロークが与えられるかによって、
エゴグラムの五つの自我の強弱が作られ、
また、後々の人間関係に対する基本的態度が決定されてしまいます。

その期間はおおむね五歳ぐらいだと考えていいでしょう。
なぜならば、この時期までに脳の発達の大部分が行われるからです。
すなわち心の形ができ上がるのです。

この時期に母親の愛情あふれんばかりのストロークをたくさん受けた子どもは、
「こんなに愛されている私は、きっと大切な存在に違いない」
という、自分に対する価値を認め、自分を信頼しようという感情が生まれます(I am OK)。
と同時に、母親の他人(自分)に対する養護的な接し方を見て、
他人の価値や他人を大切にしようという感情も生まれます(You are OK)。

反対に、否定的ストロークを受けて育った子どもは、
「ぼくなんか、大事にされてないんだ」という感情が生じ、
自分に対する価値観や自信を失ってしまいます(I am not OK)。
と同時に、母親の他人(自分)に対する拒否的な接し方を見て、
他人の価値や心を認めないという感情も生まれます(You are not OK)。

交流分析では、幼児期の親子の人間関係の中で身についた
「私と、あなた」についての見方や価値観、態度を「基本的構え」と呼んで、
以下の四つに分類しています。

①I am not OK/ You are OK
(自分はOKではないが、他人はOKである)

②I am OK/ You are not OK
(自分はOKだが、他人はOKではない)

③I am not OK/ You are not OK
(自分はOKではないし、他人もOKではない)
④I am OK/ You are OK
(自分はOKだし、他人もOKである)

●「OKである」とは/愛している、価値がある、大切だ、正しい、認める、愉快、楽しい、
できる、大丈夫だ、役に立つ、すぐれている、強い…等

●「OKでない」とは/愛していない、価値がない、大切ではない、正しくない、認めない、
不愉快、つまらない、できない、無理だ、役に立たない、劣っている、弱い…等

I am not OK/ You are OK
(自分はOKではないが、他人はOKである)

第1章の「エゴグラムによるリーダータイプの10パターン」でいうと、
「NPーACタイプ」がこれに相当します。

まるでイソップ童話で描かれている「コウモリ」のようです。
コウモリは、鳥たちの所に行けば、「私は鳥ですよ」と言い、
ネズミたちの所へ行けば、「私はネズミなんです」と言い、結局、
どちらからも相手にしてもらえません。

自分に対する劣等感や無力感が強すぎ、他人の意見の間を行ったり来たりします。
部下から問題を持ち込まれると、「そうだな、君の言うとおりだ」と言いながら、
上司からそれについて異論が投げかけられると、
「私もそう思います」と平気で意見をひるがえす管理職がいます。
両者からの歓心を得ようとしますが、
結局、両者からの信頼を失う結果になります。

また、このような基本的構えの人は、
安心感を得ようとして、権威や地位のある人にすり寄っていき、
従順で忠誠をつくすことで、生きる道を見いだそうとすることもあります。

この場合に相手が「I am OK/ You are not OK」(自分はOKだが、他人はOKではない)
だと、悲惨な結末を迎えます。
この相手がうまくいっているうちは、ポストを上げてくれることもあるでしょう。
しかし、いざコトが起こって、責任問題になったとき、
「I am OK/ You are not OK」の人は自分で責任をとろうとしません。
必ず周囲や相手のせいにします。
その結果、かわりに責任をとらされてしまいます。
そのときになって初めて自分の過ちに気がつくのです。

 

I am OK/ You are not OK (自分はOKだが、他人はOKではない)

このような人は、自分の非を認めようとしません。
仮にそれが自分のせいでも、必ず周囲にその原因を求め、そのせいにします。
というより、自分の非に気がつかないのです。
本当に気がつかないのです。
また、自分に不利なもの、批判的なものはすべて排除・拒否します。

以前、駐車違反取り締まりのCFで、そのユニークさから話題になった作品がありました。
正確には覚えていませんが、大体以下のようだったと思います。

大阪都心部の路上で、駐車違反のドライバーに対して、
おまわりさんが違反キップを切ろうとすると、
「何言うとるねん!みんなやっとるやないけ。ほか取り締まれや!」
と言って、悪びれる様子はいっこうにないというものです。

彼はまさに「I am OK」で、ほかを取り締まらないおまわりさんが「not OK」なわけです。
しかし、彼は自分の理不尽さには全く気がつきません。

そのあまりの理不尽さに、テレビの前で私は思わず苦笑いをしてしまったのですが、
実は笑い事ではないのです。

日常生活では、このような場面は頻繁に見られます。

自分の子どもに対して
「こんなことも知らないのか!」
「一体誰に似たんだか」、
妻に対して「お前の育て方が悪いから、こうなったんだ!」
なども、I am OK/ You are not OKの基本的構えをとる人の特徴的表現です。

また、自分さえよければ、他人はどうだっていいというふるまいもします。

先日こんな経験をしました。
バス停留所に並んでいたときのことです。
土曜日の午後ということもあって、人は少なかったのですが、
それでも私の前には三、四歳の子どもを連れた三〇歳前後の女性が、後ろにもさらに四、
五人ほどが並んでいました。
前の親子はおそらくデパートにでも買い物に行くのでしょう。
二人とも、こぎれいな好感の持てる身なりをしていました。
まもなくバスが到着しようとする頃、
その女性の友人と思われる、やはり子どもを連れた女性がやってきて、
そのまま四人で談笑し始めました。
話に夢中です。後ろに並ぶ気配は全くありません。
私は迷ったあげく、「You are not OK」と扱われるわけにはいかない、
と決心して、話しかけました。
「みんなずっと並んでいるんですよ」
後から来た女性は、ハッと驚いたように私を見つめましたが、
すぐに「バスが来たら、後ろに並びますよ」と不機嫌そうに言うと、
そのまま会話にもどってしまいました。
そしてバスがやってきました。
彼女は、そそくさとそのまま乗ってしまいました。
(せめて、私の前に並んでいた女性が注意してくれと、心の中で思いましたが、それも期待
はずれでした)

ビジネスの現場でもこのタイプの人を非常に多く見かけます。

というより、ビジネス社会では、むしろ「主流」といってもいいでしょう。
●自分たちの権益を守るために、消費者・利用者を無視したメーカーによる価格談合。
●小売店の安売りに対して出荷停止するメーカー
●TV番組のCFで次々と流され続ける、幼児向けおもちゃの山のような新製品。
●消費者無視の強引商法で新聞をにぎわす各種販売会社。

また、社内での人間関係にも、多く見られます。
●支配的で部下を絶対信用しない人。
●部下のミスをことさら取り上げる人。
●自分に都合の悪いことを指摘されると、怒ってしまう人。
●自分のミスを他人に転嫁する人。
などなどです。

この人たちはリーダーシップを発揮することはできません。
たとえどんなに能力があってもできません。
なぜならば、リーダーシップの源泉は、相手からの「信頼」だからです。
その相手に対し「not OK」の感情を持っていながら、
相手からの「信頼」を得ることは不可能です。

 

I am not OK/ You are not OK
(自分はOKではないし、他人もOKではない)

エゴグラム・パターンでいうと、ACが突出していて、
NPをはじめとして、他の自我がすべて低いというパターンです。
ストロークと自我の形成との関連から考えると、
乳幼児の発達の初期段階で、母親からの愛情体験に乏しく、
それでいて、父親からの強いCPのもとで養育されると、
このような構えができ上ってしまう可能性を持っています。
このような人は、人生に絶望し、人生は生きるに値しないと考えています。
一方で、他人の生に対しても価値を認めていません。
当然、社会生活を送るうえでは大きな欠陥を持っているといえます。
ビジネス社会では、あまり例を見ませんが、
何度注意しても無断欠勤を繰り返し、
注意するたびに、「はあ、今度から気をつけます」
とは言うものの、やはりなおらない。
こうして職場を転々とするといった人がこれに該当するようです。

 

I am OK / You are OK(自分はOKだし、他人もOKである)

エゴグラム・パターンでいうならば、
「効果的な」自我状態、すなわち、高いNP・A・FCを持った人といえます。
この基本的構えの人は、自分の利益のために他人を犠牲にしたり、利用したりしません。
また、自分だけ我慢して、他人に利益を供給することもしません。
自分も他人も、ともに価値あるもの、大切なものであるとの認識に基づいて、考え、行動
します。
I am OK / You are not OKの人が、
相手の意見を受け入れることは、自分の敗北、または、相手の利益は自分の不利益、と考
えるのに対して、
I am OK / You are OKの構えを取る人は、
常に自分と相手の「相互理解」「双方の利益」を目指します。
その結果、お互いの満足と、高い信頼関係を築くことができます。

この基本的構えが、最もすばらしいものであることは、説明の余地がありませんが、
現実には、この構えの人はきわめて小数であることも、事実です。
なぜならば、幼少期に、このような人間関係のもとで育ってきていない人のほうが
圧倒的に多いからです。

では、このすばらしい基本的構えは、
後天的に身につけることができるのでしょうか。

精神分析の創始者であるジークムント・フロイトは、
五~六歳までに人間の基礎的な性格が作られ、
それ以後は精神分析医の指導によらないかぎり、その修正は不可能としています。
しかし、交流分析では、
人はみな、五つの自我を持っており、その強弱(エゴグラム・パターン)を、
みずから修正することができると考えています。

 

ゲームとは何か〈心のくせを知る〉

ところで、「I am OK / You are OK」の基本的構えに立とうとしても、
それを阻害しようとする心の動きがあるために、
一つの決まった行動様式をとることがあります。
交流分析ではこれを「ゲーム」と呼んでいます。

交流分析の創始者であるエリック・バーン博士は、その著書『人生ゲーム入門』(南博訳、河
出書房、一九六七)で、ゲームとは、
「一連の交流であって、反復的になされることが多く、隠された動機があり、交流の結末を
予測することが可能で、たいていの場合、自分、相手とも嫌な感情(交流分析ではこれをラ
ケットと呼びます)が残るもの」
と説明しています。
わかりやすく言い換えれば、
①一定の条件下で、
②習慣的に繰り返し行われるコミュニケーション(裏面的交流)であって、
③多くは、I am not OKまたはYou are not OKという否定的な基本的構えを、みずか
ら確認・強化するために行われるもので、
④その結果、(またやってしまったなどの)自分、相手ともに嫌な感情が残ってしまうもの
といえます。

このように、「ゲーム」とは、わかってはいるのに、どうしても繰り返してしまう、
いわば心のくせのようなものなのです。

たとえば、
部下が仕事に関して、提案をしてくると、
決まって、「それは無理だな」とか、「以前、検討したけど、ボツだった」とか、
何らかの理由をつけて、取り上げようとしない管理職がいます。
部下は、一生懸命その提案を理解してもらおうと説明するのですが、
結局、言い争いになってしまい、
その結果、管理職は、「ああ、また、部下のやる気を削いでしまった」と思い、
部下には、「またか、もう課長には言ってもラチがあかない」という感情を与えてしまう、
というような場合です。

 

人はなぜゲームを演じるのか

すでに述べたように、
人は生まれてからいろいろなストロークを受け、成長します。
その過程で、基本的構えを身につけます。
そしていったん身につくと、経験を通じて、
この構えを確認・強化しようとする働きが生じます。
そのため、I am not OKまたはYou are not OKという
否定的な基本的構えを持った人は、
習慣的に、そのようなコミュニケーションをとってしまうのです。

 

管理職の演じるゲーム

管理職が演じやすいゲームには、次のようなものがあります。

1 責任転嫁

主に、I am OK / You are not OKの基本的構えの人が演じるゲームです。
このような人は、責任の所在を自分以外のすべてのものに求めます。
たとえば、
●「君の成績が悪かったから、課の目標に達しなかったじゃないか」
と、部下のせいにします。
●「経営陣は、もっと明確な理念を打ち出すべきだよ。
そうじゃないから、我々もどうしていいかわからなくて、身動きがとれないんだ」
と言って、上司のせいにします。
●「それは、課長職の権限外なんだよ。一応、部長には言っておくけど、多分だめだろうね」
と、職掌のせいにします。
●また、営業会議の席上などでは、業績低迷の理由を問われて、
「競合会社の値引き攻勢が激しくて」とか、「すっかり市場が冷え切っています」
と、環境のせいにもします。
そして、このような人は
●「お前たち(女房や子ども)さえいなかったら、こんな会社、すぐに辞めてやるのに」
と、家族のせいにもします。
要するに、自分以外の周囲のものすべてに責任を転嫁するのです。

 

2 合理化

これもまた、主に、I am OK / You are not OKの基本的構えの人が演じるゲームです。
自分の自信の無さや能力の低さを自他ともに認識させないために、
何らかの理由付けをして、自己保全をはかろうとするものです。
たとえば、
●「もし、女房や子どもさえいなかったら、脱サラして、自分で事業をやるんだけどなあ」
というような人はよくいます。
この場合、脱サラできないのは、女房や子どもがいるからだと理由付けすることによって、
脱サラしないで現状で我慢することに対して、自分自身に納得させています。
このような人は、往々にして、子どもが自立すると
「もし、俺が一〇歳若かったら、独立して、自分で事業をやるんだけどなあ」
と理由付けを変えます。
しかし実際には、仮に女房や子どもがいなくても、一〇歳若かったとしても、
独立することはないでしょう。
同じように職場では、
●「私のことを理解してくれる上司がいてくれたら、もっと能力を発揮できるのに」とか、
●「こんな部署じゃなくて、違う部署だったら、もっといい成績をあげられるのに」とか、
周囲にアピールします。

 

3 現状維持

幼少期に「あれをしてはだめ」「これをしてはいけない」というような
禁止事項(禁止令)を多く受けて育った子どもは、
大人になってからも、試行錯誤や自発的な積極的行動をとることができません。
このような人は、自分ではもちろんのこと、部下からの積極的な提案に対しても、
何らかの理由をつけて、やらせない、または握りつぶしてしまうというゲームを演じます。
たとえば、
部下から示される提案に対し、「そうだな、でも」と、一つひとつ反論し、
決して、実行しようとしません。
現状を維持しようとする強力な力が働くのです。
また、
●「考えとこう」
●「~してもしょうがない。結果はわかっている」
●「まっ、いいか」
なども同じように、現状維持のゲームといえます。

 

ゲームをやめるにはどうするのか

では、ゲームを演じないようにするには、どうしたらいいのでしょうか。
それは、ゲームという後ろ向きな行動と決別し、
「主体的に、かつ、前向きに考え行動する」と決意する以外に方法はありません。
そのうえで、
①自分のよくやるゲームに気づくこと。
②そのゲームは、どんな場面に多く現れるか気づくこと。
③そのとき、どのような態度(問題解決に向けられた主体的かつ前向きな具体的行動様式)
をとるか、決意すること。
が必要です。

 

基本的構えを変えるには

ところで、どのようにしたらI am OK / You are OKという基本的構えを身につけるこ
とができるのでしょうか。

それは、日頃から、
常に自分を「効果的な」自我(NP・A・FC)状態に置く訓練をすることです。
そのうえで、
①相手の感情・価値観・道徳観を理解する(NPを使って、今、相手はどんな気持ちなのか。
また、価値観・道徳観はどうなのか。相手の身になって考える)。

②相手の欲求を把握する(Aを使って、相手が本当に望んでいるものは何なのか。
それはどうしたら達成できるのか。ほかに方法はないのか)。

③自分の欲求を整理する(Aを使って、自分が本当に望んでいるものは何なのか。
それはどうしたら達成できるのか。ほかに方法はないのか)。

④双方の利益の接点を捜す(FC・Aを使って、解決方法を創造する)。

という習慣を身につけることです。

確かに、簡単にはいかないでしょう。
しかし、必ず解決方法は見つかります。
見つからないのは、双方の利益の接点を捜す(解決方法を創造する)過程で、
I am OK / You are not OKの構えをとってしまうことが多いからです。

 

「価値観の衝突」ケース

鈴木君は、入社五年目の経理課に所属する優秀な社員です。
彼は日頃から仕事もバリバリこなしますが、仕事一辺倒の会社人間にはなりたくないと考
えていました。
鈴木君には結婚を約束した女性がおり、たまたま彼女の両親が上京することになったので、
今日は午後六時に東京駅まで迎えに行き、その足で四人で食事をする約束が一カ月前から
ありました。
彼はもちろん、彼女も、彼女の両親もそれを大変楽しみにしていました。
ところが、その日の午後になってから、新村課長に突然の残業を言いわたされました。
理由は、明朝一番の役員会議に提出する予定になっていた書類に不備があり、
大至急作りなおさなければならないとのことでした。
経理担当役員が依頼内容を充分に新村課長に伝えていなかったのが原因です。
新村課長も、いったんは「とても明日の朝までには間に合いません」とは答えたものの、
コトの重要性から、引き受けざるをえないと判断しました。
しかし、明日の会議に間に合わせるには、優秀な鈴木君の力は必要不可欠であり、
それをもってしても、完成するのは深夜になってしまうのは明白でした。

鈴木君 「そんなあ。急に言われても、今日はぼくにはとっても大切な約束があるんです。
それは課長にも言っておいたじゃないですか」
新村課長「わかってる。しかし君の力が必要なんだ。
それに会社は組織で動いてるんだぞ。組織の都合を優先させるのは仕方ないじゃ
ないか。しかも緊急事態だぞ」
鈴木君 「それはわかりますが、ぼくも彼女と彼女の両親との約束を破ったら、いいかげん
な奴だと思われちゃいますよ。
これは、ぼくにとっては重大問題なんですよ」
新村課長「それもわかる。しかし、君が残業してくれなければ、書類は間に合わないんだ
よ。君はそれでもいいのか?」
鈴木君 「………」
新村課長「そうだろ。君には本当にすまないと思っている。
でも、仕方ないんだよ。頼むよ」

鈴木君は、しぶしぶ承知して、彼女にことわりの電話を入れました。

 

解説

さて、このやり取りや結果について、あなたはどのように感じますか?

おそらく、多くの方は「新村課長は、誠意をもって鈴木君を説得しており、
鈴木君には気の毒だが、仕方がない」
と思うのではないでしょうか。
しかし、それは間違いです。
新村課長は、実は「I am OK / You are not OK」の基本的構えをとっています。
(I=組織の都合・価値・道徳 /You=個人の都合・価値・道徳)と置き換えてみれば、
理解しやすいでしょう。     ★
一方、鈴木君はどうでしょう。
当初、「I am OK / You are OK」の構えで臨みましたが、
結局、押し切られて、「I(個人の都合・価値・道徳)am not OK / You(組織の都合・価
値・道徳)are OK」の感情を抱いたに違いありません。
その結果、鈴木君は組織への貢献意欲や仕事への情熱を大きくダウンさせてしまいます。
また、鈴木君は心の中では、約束を破ったことで、
「I am not OK」という感情をさらに強化させてしまいます。

このように、組織で働く以上、組織と個人の関係における価値(道徳)の衝突、
または個人の心の中における価値(道徳)の衝突は、実に頻繁に起きています。

では、どうしたらよかったのでしょうか。

新村課長が残業を依頼し、
鈴木君がそれを受け入れたのは妥当な結論だと思います。
組織で働く以上、組織の目的や目標があります。
(このケースの場合は、明日の朝までに書類を完成させること)
それが達成できないとするならば、組織として成立しません。
したがって、結論はOKなのです。

問題は、新村課長の対応によって、
鈴木君の心の中に「I am not OK」という感情を芽生えさせてしまったことなのです。

鈴木君は、組織や仕事も大事だけれど、個人も大事だという価値観を持っていたでしょう。
そして、新村課長との会話をやり取りする過程で、
約束を破らなければならないことになり、
彼女や彼女の両親に対し、大きな道義的責任を感じてしまったはずです。

したがって、(残業もさせるが)彼の価値観・道徳観を満足させる代替案をまず捜しだすこ
とが、
新村課長のとるべき「I am OK / You are OK」ということなのです。
たとえば、
新村課長「ご両親の東京でのスケジュールはどうなっているの?
スケジュールがあけば、特別休暇をやるから、
東京見物にでもお連れしたらどうだ。
それと、ぼくからお詫びの電話もさせてくれないか」
と対応し、鈴木君の価値観を認め、
約束を破ったことに対する道徳的責任を少しでも軽減させる方法を、
まず捜しだすことが必要だったといえるでしょう。

「I am OK / You are OK」の基本的構えに立つこととは、
①相手の感情・価値観・道徳観を理解すること。
②相手の欲求を把握すること。
③自分の欲求を整理すること。
④双方の利益の接点を創造すること。